定義の定義について語る

定義を定義してみる。
と、思ったけど辞書のそれでそんなにずれないだろうから、
gooの大辞林にきいてみた。
(1)ある概念の内容やある言葉の意味を他の概念や言葉と区別できるように明確に限定すること。また、その限定。


「その定義は?」とか言うフレーズがでて、それにこたえると、
「その定義はまちがっている」とかつづくことがあって、
僕はそれに随分と違和感を感じる。


んで考えてみると、
僕は
1:「何が言えたか」
ではなく
2:「何を言いたかったか」
に興味があって、
「その定義はまちがっている」という場合には、
「何が言えたか」
に興味があるように思えるからだ、という事に気付いた。


この違いは、文脈を設定してみると結構ちがう。


1:「何が言えたか」の場合
A「りんごって、すっぱいよねー」
B「その定義は?」
A「橙色で、日本では冬、こたつとかにざるにもってたべるあの果物だよ」
B「それ、みかんじゃん!その定義はおかしいよ」


2:「何を言いたかった」の場合
A「りんごって、すっぱいよねー」
B「その定義は?」
A「橙色で、日本では冬、こたつとかでざるにもってたべるあの果物だよ」
B「ああ、うん、あれすっぱいね。でもさ、甘いのもあるよ。」


後者に、あってる、まちがってるはない。


この文脈を考えると、
橙色で、日本で冬、こたつとかでざるにもってたべる果物=りんご
っていう定義は、
100人のぼくのまわりにいる人達をつかまえていってみたら
99人がきょとんとするだろう。
# いやまあ、ひょっとしたら100人かもしれないけれど。


言葉が乱れている、と言ってなんの迷いもない人達っていうのは、
1:をすごく気にしているのかなと思う。


でも大抵の場合[要出展]には、
2:のスタンスでいる方がしあわせだよっていうお話。
ディベートをしたい、相手を叩きつぶしたい、
法廷であらそっている、という場合にはそうではないのだけれども、
コミュニケーションをする、すなわち、相手を理解し、
そこから何かを知る、考える、という場合には2:がとても便利だ。


あ、そうそう、
相手にみかんがりんごだっていわれたら、
ちょっと戸惑うとおもうんだ。
だって僕はりんごの話をしてたつもりだったんだから。
そしたら、
まず、相手の「りんご」ことみかんの事を話して、
次に自分のはなしたい"りんご"の定義をして、それについて話すといいとおもう。


ねがわくば世の議論が有意義であるように。