知的障害を持つ人が、進学校に"いる"ということ

先のエントリーを書いて、
そして、
高校はもう高等教育じゃないだろを読んで、
知的障害者をめぐるお題ふたつをもう一回読んだり((というより、先の良く読んでない件もあるので眺めて、といったほうが良いのかもしれない)して
入学する知的障害を持つ人にとってはどうなんだろう、とまた考えてみた。


考えてみたところ、
やっぱり知的障害を持つ人の気持ちというのは、
僕には想像が極めて難しく、
そしてもちろん移入することもできなかった。


あまりに、知らなすぎる。


そしてまたつらつらと考えてみたところ、僕なり今考えた範囲での

結論は

知的障害を持つ人は
進学校にいたほうがいいんじゃないか、という事だ。

なんでかっていうと

やっぱりそれはid:ryokusaiさんの先のエントリーへのブコメにあった「教材」としての意味になってしまうんだろう。
ただ、それを「教材」というのであれば、教師も同級生も「教材」だし、家庭も、そして道ですれちがう他人も「教材」だ。
僕個人に関していえば前述のものよりも小説が「教材」だった。*1
ああ、そして、トラックバックは送ったおぼえがないなーとおもったけど、引用の中でidcallしていた事に気がついた。

前提ふたたび

  • 役人だったり、政治家だったり、大企業のサラリーマンだったり、そういう所にいく人の中には、進学校を経ている人がおおい。
  • 役人や政治家や大企業のサラリーマンは、そうでない人に比較して知的障害を持つ人にあたえる影響の期待値が大きい。

ああ、今回のエントリーはこれにつきてしまうんだろうな。

考えたこと

前提でほとんどなんだけど、だったらやっぱり分かっておかないと、ということだ。
それも、教材*2として、
つまり、自分の外のものとして、
ではなく、自らの生活圏のなかの体験として分かっておいた方がいいんじゃないかなと考えた。


実は前職でお世話になった方のお子さんが、知的障害を持つ人だった。
僕は、その、はなしのながい、そしてひょうひょうとしたそのおじさんの事が好きだったので、
時々知的障害を持つ人はどうしたら生活していけるか、と考えてみたりした。


でも、やっぱりわからなかったなー
なんてことをふとおもいだした。
何ができるかわからない
そういったわけで、もうちょいしりたいな、と。


んで、
知的障害を持つ人にとってはいいのか?
っていうのについては未解決で、
未解決なりにそっくりそのままいれるのは、
どちらにとってもよくないだろうなとも思うので
それはコストをかけて、専門施設のノウハウを活かせる方向にすすんでいってほしいなーって
思う。


思うだけでなく、
どうやったらそういう事ができるか、
ってことを考えて提案したほうがいいんだろうとおもうけど、
今日はここまで。

ノブレスオブリージュ的ななにか。

*1:あまりこのエントリーとは関係ない話だが。

*2:上述の「教材」ではなくて。